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量、品質、価格、全てにおいて淡路島NO1。毎年淡路島内振袖ご成約200名以上。揃わない振袖はありません。
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会社名 | 株式会社 中西呉服店(Kimono唐草グループ) |
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所 在 地 | 〒656-0025 兵庫県 洲本市 本町6丁目2-21 |
代表者名 | 中西 仁志 |
業 種 | 卸・小売業 |
事業内容 | 呉服・宝飾・その他販売 |
公式サイト | http://www.n-kimono.com/ |
資 本 金 | 10,000,000 円 |
従業員数 | 15 名 |
会社PR | 経営理念:「満足を商う」 創業98年の老舗!!スタッフの平均年齢も30代という着物業界若手集団で、個性的なメンバー達が元気に明るく呉服屋を営んでおります。 Kimono唐草は、着物を販売することだけが私達の仕事ではないと考えます。母から子へ「着物」と一緒に「想い」を伝えたいという気持ちを込め、次代に受け継ぐべき「着物」としての魅力も伝えたいと思っております。 |
担 当 者 | 所属部課: 総務部 氏名: 鹿瀬 電話番号: 0799-22-0459 FAX: 0799-23-0052 Eメール: nakanishi@kimono-n.net |
大正2年5月 | 中西権平がヲヒサとの再婚に伴い呉服店を開業 |
商売がしたいとヲヒサが懇願(酒屋・呉服屋)の中で選択 | |
昭和初期 | 中西保雄養子縁 |
本町商店街5丁目にて念願の店舗開業 |
昭和初期 | 中西保雄社長就任 |
保雄は地域発展が当社の発展と考え地域活動に尽力する | |
昭和28年 | 店舗を移転拡張 |
昭和25年5月 | 株式会社中西呉服店設立 |
昭和32年10月 | 洲本市外町乙206番地本店移転 |
昭和36年 | 洲本市本町6丁目2-21本店移転拡張 |
※商店街アーケード昭和36年2月完成(太夫がお点前披露) | |
昭和39年1月 | 中西権平他界 |
昭和48年4月 | 中西保雄他界 |
昭和48年4月 | 中西修二社長就任 |
昭和53年 | 洲本市本町6丁目2-21中西呉服店本社全焼 |
※12月25日近隣より出火で店舗全焼する | |
昭和58年 | 『くれない会』を発足させ地域の文芸、スポーツの会をつくる |
昭和59年 | お客様とともに楽しみ生活と当社とのつながりを持っていただける会づくりを行う |
昭和62年 | 待ちから攻めに営業活動を中心とした活動 |
月に一度の催事スタート | |
中西たまゑ他界 |
平成2年 | 中西仁志愛知県西尾市『かど屋』修行 |
有限会社アビエ中西設立 | |
有限会社中西現寿庵設立 | |
有限会社中西商事設立 | |
株式会社なかにし設立 | |
平成5年7月 | 中西修二社長退任 |
平成5年7月 | 中西恵美子社長就任 |
平成6年 | 家業店として一人で呉服業を切り盛り |
平成7年 | 年間個人売上1億円をしながら裁ち、帳面全て一人でする |
平成9年 | 中西仁志帰省 希望展を観光ホテルにて行なう |
平成10年 | 経営改革を行う |
経営計画書を作成 | |
中西仁志・早苗結婚 | |
新入社員の採用と教育 | |
営業の基本的な環境の整備 | |
平成12年5月 | 中西恵美子社長退任 |
平成12年5月 | 中西修二社長就任 |
平成14年 | 中西仁志営業システム構築 |
平成14年 | 催事システムの構築 |
平成17年 | 初3億円突破 |
平成19年 | 中西仁志社長就任 |
平成22年 | ジャスコCONCON唐草出展 |
これ以上の売上増のための現寿庵の撤退 システム作り | |
中西現寿庵撤退 | |
屋号KIMONO唐草と変更 | |
中西呉服店本社改装 | |
負債の処理の推進 | |
第61期経営計画発表 | |
平成23年 | 徳島・地区の営業スタート |
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